微光のなかの宇宙/司馬遼太郎

図らずしてとめちゃんと同じ本で書くことになってしまいました。

「生きている間に一度は司馬遼太郎の著書を読みたいと思う私に一冊選んで貸して」

と依頼するとこの本貸してくれたんです。

この文豪を一冊も読んでいなかったあたり、私の「非読書家」のレベルもなかなかのもんです。

 

前回「エッセイや日記の自分語りうざい」とか書きましたが

この本ってまさかのエッセイのジャンルなんですか?

えー違いますよね、小論文とかですよね?

現国の試験の小論文ってこんな感じでしたよね、30分かけて必死に解読する見開き頁くらいの難解な文章。

っていうかごめんなさい。ジャンルでくくって物言うのやめますね。えへ。

 

美術の解説書みたいなものを何となく想像して挑んだけれど、そんな生易しいものではなかった。

空海とか、そもそも画家じゃあないではないかと読んだ後に気づいた。

副題は【私の美術観】である。美術観という視点から見た創作者たちの生きざまである。

何人か挙げられる画家に関しても、作品とともに、その在り方に強く関心が寄せてられている。

 

ここからは感想

 

人間なら誰しもその背に抱えている宇宙ともいうべき広がりがある。

その宇宙の内側の解像度が極めて高く、無限な広がりと深さを求めてやまない探求心を持ち(言い換えれば常に渇望していて)

その内側を表現できる技術を持った人物のことを天才と言うのではないだろうかと感じた。

 

ただ技術が優れていればいいというものではない。

ただ絵が上手に描ければいいというものではない。

 

外界からの刺激が人の心で渦巻き宇宙に流れ込み、宇宙の中で暴れ回る。

そのままその混乱を外に向けてしまえば、他人にとっては煩わしいものでしかない。

(ちょうど本書に語られるゴッホの他者に対するかかわり方がそうであったように)

宇宙の中で猛り狂うどうにもならない感情を、その人の力量を持って調理しなくてはならない。

煮たり 焼いたり 濾過したり 発酵したり 醸造したり

そうしていくうちに、その感情は抽象性を持って洗練され、蒸留される。

それが技術を持って具体化されて初めて誰かの心に直接訴えかける作品になりうる。

 

天才たちの持つ宇宙を鋭い眼でとらえ、膨大な知識により分析し、類まれなる文才によって語られている良い本でした。

 

さあ、二冊目は何を勧めてもらえるかな

 

ところで月曜日は久しぶりに議事録書くんですよ。8月以来ですよ。

休職した時に外されたけど、もういいやって思ってたら何故か帰って来た。随分前に復職してるんだけど今になって。

新しい上司に「私が出席してなかった時の議事録あったら予習したいんで見せてください」って言ったら誰も書いてなかった。

ええんかい。適当だなあ。

でもチームスの音声のデータがあるからと送ってくれた。

「テレビ会議を残しただけだから映ってる画像はずっと僕の顔だけだけど、めったにない機会だから堪能してください」

と言われてめっちゃウケた。もう会社辞めるまでこの上司でいい。感謝しているのでちょっと頑張っちゃうね。

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