解説百人一首/橋本武(百人一首③)
最後に、百人一首からうたを一首ピックアップ。
第8首 わが庵(いほ)は都の辰巳しかぞすむ世を宇治山と人はいふなり(喜撰法師)
訳:わが家は都の東南にあり、私は快適に暮らしている。けれど世間の人は、世のつらさを逃れて宇治山にこもったと言っているそうだ。
定家の好みの「恋のうた」でもなく「秋のうた」でもない。でも定家はこの歌を百人一首にセレクトした。
又、喜撰法師は、紀貫之が選んだ和歌の名人リスト(六歌仙:僧正遍昭,在原業平,文屋康秀,喜撰法師,小野小町,大友黒主)の一人にも選ばれている。
そしてまたまた、藤原公任の選んだ「三十六歌仙」にも名を連ねている。
この三つの肩書を兼ね備える歌人は僧正遍昭、喜撰法師、小野小町の三人しかいない。
しかしこの中でもとびぬけて喜撰法師にはすごいところがある。
喜撰法師は、とてもなぞの多い人物で、本名、出自、履歴、生没年すべてが不明、
残しているうたは、なんとこの一首だけ。(もう一首あるという説もあるけど評価は高くない)
それだけこのうたの評価が高い。超一発屋。この一首だけで偉大な歌人として後世に名を遺しているのだ。
かくもすばらしきミラクルヒット。
考えてみれば、自分に酔いしれてる「恋のうた」なんかは、好みではない人も多いだろう。
むしろ恋愛体質じゃない人なんかは白い目かもしれない。
でもこのうたの、飄々とした中にも世間のわずらわしさをさらりと詠む、一種の爽やかさなんかは、生きている限り誰にでも共感できる部分なんじゃないだろうか。
私には、本当に世事を離れて隠匿しているなら今更世間の人が自分をどう思おうがそんなことどうでもいいんじゃない?という違和感もあるんだけど、そこがまた、ちょっとしたメンヘラ性を残していて、更に多くの人の共感を得るのかもしれない。
タイトルにした「解説百人一首」は、実はちょっと古い本で、私が学生時代にレポートを書くために買った本。
レポートのお題は【百人一首から一首選んで小論文を書くこと】で、二十歳前後の私はこの本を買って、この第8首を選んで小論文を書いたのだ。
当時の私は小論文を「反論」で書くことを決まりとしていた。つまり、
「喜撰法師は世事を嫌って田舎に住んでこのうたを詠んだ、という通説に反し、実は都にいて日々の憂さにまみれる中で、隠遁生活に強く憧れて詠んだのではないか」というスタンスで書いたのだ。
ノリノリで書いた小論文は、散々な学生時代の成績の中で珍しく「A」をもらったのを覚えている。
【百人一首】【六歌仙】【三十六歌仙】【ぴちぴちのパンダ】に選ばれた一首というわけです。