孔子 論語/佐久 協
私の頭の中は、何パーセントが思い込みと偏見なんだろう。
中学の時くらいに性善説と性悪説を習った。
考えてみりゃ随分と乱暴な究極の選択だ。
そんな単純なものではない。当たり前と言えば当たり前。
だけど私の頭の中にはその単純な線引きのみが残っていた。
儒教とは孔子の教えを弟子たちがまとめた語録で『教』と言っても宗教ではない。
この本は、孔子は善である人間一人一人が自分の考えでもって正しく行動せよと説いているという。
儒教は、のちに孔子の教えを政治的に利用した解釈になって利用されてしまう。
「国家に忠誠を尽くせ(たとえ国家がどんな政治をしようとも) 親を敬え(たとえどんな親でも)」
それは「一人一人が・・・」という考えとは全く反対に感じる。
宗教とは絶対的に正しい者が無知なる民に真理を与えるものだと思う。
それはそれで正しい一面もある。
だっていつの時代も生きる事は過酷で、人間はそんなに賢くない。
一人一人が善として生きる事は理想論ではあるが果たして可能なのだろうか。
自分にとっての真実の物差しは、得てして他人にとっては歪な形をしている。
正しく生きようと思うあまり、自分にだけまっすぐな物差しを強固に磨いて鋭利なナイフに仕立てあげてはいないだろうか。
そんな凶器を持った自分に反感を抱かれて攻撃に会い、ポッキリ折られてしまったりしてはいないだろうか。
善として生きる事 正しく生きる事
理想は幻のごとく難しい。
孔子は君主の子でもなく貴族でもない。生まれは不遇で苦労人。
でもめげないで頑張る多趣味で素敵な人徳者だった。
随分と親しみがわいてしまう人だ。
次は性悪説の韓非子とかマキャベリに進もうかなと。
韓非子を少し読み始めてみて、やはり理想論よりはしっくりくると感じる。
でも人間的には孔子が素敵かな。